こんにちは。トコロです。
引っ越し話のその後。探し始めて2日目で物件が決まったのはいいのですが、今って、賃貸契約を交わすのに保証人を立てるのではなくて、保証会社なるものを通して賃貸契約を交わすようですね。

私は天涯孤独の身なので、逆にそのほうがいいや、と思っていたのですが、保証会社のほうで「緊急連絡先は必須で、3等親以内の人」という条件があるらしく、困ったなぁ、と思いましたが、契約なのでしかたがないから3等親じゃないけど、知人の禅仲間のおじさまにお願いしました。審査に通れば無事に引っ越すことができそうです。

以前、某大手企業に契約社員として雇用契約を取り交わした時も、保証人の署名が必要だったのですが、そのときはうちの禅の師匠がなってくれました。

こうして、快く保証人になってくれたり、緊急連絡先に自分を使ってくれていいよ、と言って下さる方って、なかなかいないんじゃないでしょうか。こういう方々とご縁を頂戴している私は幸運でしあわせ者だなと心底思います。感謝。

さて、前置きが長くなりましたが、
今日は三昧(ざんまい)について、私なりに書いてみたいと思います。仏教用語についての解説ではございませんし、私は仏教用語についてそんなに明るくないので、そういうのにお詳しい方にとっては、とてもいい加減なことを書いているように受け取られるかもしれません。どうぞご容赦くださいね。

頭の中のおしゃべり。私はこれが自分だとずっと思っていました。

恐らく、これを読んでいる大半の人もそうではないかな、と思います。でも、中にはそうじゃないことに気づき始めた方も増えてきているような気がします。

「思考≠自分」ということを説明するため、セッションに来て下った方に、

「時間を忘れて何かに無我夢中になった経験って、ないですか?」

とお伺いしています。みなさん大抵、そういう経験のひとつや二つはお持ちだと思います。”なんとか三昧”、になっている状態です。

ちょっとその時のことを思い出してくださいね。我を忘れて何かに没頭しているしているとき。そこに頭の中のおしゃべりは無かったでしょ。

没頭とはよく言ったものですね。「頭」を「思考」に置き換えるとわかりやすい。

そして

ゲームなら、ゲーム。
スポーツならそのプレー。
読書なら読書。
編み物なら編み物。
楽器演奏なら楽器演奏。

それら”そのもの” とひとつになった感覚じゃなかったですか?そこに「自分」なんてラベルのついたものはなかった。自分とそれ以外の境界線などなかった。

ゲーム三昧になって、無我夢中になってゲームをやっているとき

そこに現れているものは
ゲームだけではなかったでしょうか?

「自分がこれをやっているんだ。」とか
「うまくやらなきゃいけない。」とか

そんな思考、ありましたか?

頭の中のおしゃべりもなく。
(思考は働いているでしょう。)

時間の感覚もなく。

でも、

充実感。なんの不足もない、満たされているような感覚。

あなたは普段、思考を使うことで、自分の人生をコントロールしているような、一生懸命生きているような気がしているかもしれない。

でも、本当は思考しても、しなくても、起きることは自然と起きるし、心配は要らないのですよ。ほら、無我夢中で何かやってたとき、頭でいろいろ考えなくても、ちゃんとできていたでしょう?

考えなくても、死にませんから。(笑)
心臓は動いているし、呼吸もしています。^^
思考する必要がある時だって、ちゃんとしかるべき時には機能してますでしょ。

あなたが、ただ頭で「ちゃんと考えないと、困ったことになる。」と妄想しているだけなのです。

もしも「思考=自分」なら
無思考状態になっているときは、あなたは死んでいるのでしょうか?

ちがいますよね。^^

あえて言うなら、この場合の「自分」は「自我心」とでも言うのでしょうか。

「これが自分だ」という自意識。エゴ。

つまり
「思考=自我(エゴ)」ということになりますかね。

自意識だから、文字通り「これが自分だ」と意識しています。
つまり、思考そのものを自分のことだ、信じている訳です。

その思考は現れたり、現れなかったします。
でも、あなたはいるでしょう?ずっとそこに。

無我夢中になっているとき、
あなたに「悩み」という思考はなかったでしょ?

「好きなことをやりましょう」という言葉をたまに耳に(目に)しますが、無我夢中になれるものって、好きなことだと思うので、そういう意味では賛成です。「今」という瞬間、瞬間に安住できますからね。

でも、もし今のあなたが
「やりたいことがわからない。」と悩んでいるなら、無理をしないで下さいね。

大きく考えなくても、日常生活の中で好きなことをちょこっと。それで、いいじゃないですか。めっちゃおいしいチョコを食べるとか、ね。

でも本当は、
わからないなら、わからないまま、
そのまま放っておくことができるなら、それが一番かもしれませんよ。

なぜって、
(こんなことを書くと、「はぁ?」って思う方もいるかもしれませんが)

「やりたいことがわからない」

それも、ただの思考だから。

あなたの心に平安が訪れますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。