こんにちは。トコロです。
桃の節句は、あいにくのお天気でしたね。

実は私、禅修行をしているのですが、
(というのもおこがましい位、不真面目な禅修行者です。(^-^;)
桃の節句の今日は午後から久しぶりに禅の師匠に会いに行ってきました。

このブログのタイトル「自然さん」は
”nature”の自然じゃなくて、仏教用語の”自然”。
「じねん」と読みます。

そして、うちの師匠の名前です。^^

ちなみに、私は禅の道に入るにあたって、あえて言葉を勉強しませんでした。言葉は邪魔になると思ったからです。

それでも、全く仏教用語を知らないと、師匠と修行僧の方々との会話についていけないから、知る必要のあるときだけ覚えました。

「自然」も仏教用語であると知ったのはつい最近です。

「自然」とは、
そのものとして自らそうなっている、「はからい」(取りあつかうこと)がない、ということ。

この言葉が明治時代に”nature” と訳されてから、現在の意味として使われるようになったそうです。

さて

私の師匠の自然さん、まさしく、存在そのものが「自然」です。

いえ、実は私も含めてみなさんそうなんですけどね。いつだってそうなんですよ。

でも人って、どうしても思考で「ああでもない。」「こうでもない。」と自分自身について頭の中でやっちゃってるでしょう?

それで、今の自分が認められない。

水が入ったバケツ。そのバケツの底に砂が敷いてあるところを想像してみてください。

それを手でバシャバシャとかき混ぜると、砂が舞い上がって水が濁りますでしょ。何もしなければ水は澄んだままなのに。

必要もないのに、あれこれと頭の中でぐるぐる思考をしてしまうのは、まるでバケツの中の水をバシャバシャとかき混ぜるようなものなんですね。

思考はあくまでも道具ですから。^^
上手に使いましょうね。

ところで

今回、自然さんのお言葉で印象に残ったものをひとつあげますと

「(人は)得ようとすればするほど、心配が増す」

これ、あなたは頷けますか?

あらためて
手放すワークから自ら得た経験や気づき、
それに師匠から教わったこと、

それらを私なりに、今、悩みを抱えている、閉塞感や生きづらさを感じている方にお伝えできればいいな、って、思った一日でした。

合掌