「君たちがいて僕がいる」
ご存知、吉本新喜劇のチャーリー浜師匠のギャグです。って今、思わず「ご存知」って書いちゃいましたけど、関西限定?しかもR40以上のひとにしか通じないかも??(苦笑)

ごめんクサぁ~イ。トコロです。

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本題に入る前にご報告。
今月、新しい挑戦として、23日にセミナー形式の講座を企画しましたが、おひとり様しかお申込みがなく。最低催行人数に達しないため、考えた末、中止することにしました。

お申込みに頂きました方には、個人的にやりとりをさせて頂きましたが、申し訳なく…。これに懲りずにまた時期をみて企画すると思いますので、またご縁があるといいな、って思います。ごめんなさい!
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さて、今回のブログでなぜチャーリー浜師匠のギャグを冒頭からぶっ込んだかと言うとですね。この世界は2元の世界だというお話をしたかったからです。

二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては、要素としては精神物体など。二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。
(ウィキペディアより)

これ、小難しい話に聞こえるかもしれませんが、要するに比較対象がなければ、それは概念として存在しえない、って話です。例えば「闇」の存在なしには「光」も概念としてない訳で。(光しかない世界を想像してみてください。光は存在はしているけれども、比較対象である闇がなければ、もはや「光」という概念はないのですよ。それだけだから。)

「私」という存在は「私以外」のものが存在して初めて概念として存在できる。つまり、主体(見るもの、知るもの)と客体(見られるもの、知られるもの)で世界は構成されているということです。

つまり、そう。君たちがいて、僕がいる。

そこででてくる言葉が

「分別」。

ゴミの話じゃぁ、あ~りませんよ♪
(すみません。吉本のノリが止まりません。)

「分別」って実は仏教用語。一般的には「分別がある」とか、いい意味で使われていたりしますよね。

ところが仏教では逆なのです。
「これは良い」、「あれは悪い」というように、頭で判断して人やものごとの是非や道理を判断する。分け隔てをする。確かに一般的には思慮を使ってものごとを冷静に判断するのはいいことだとしていますよね。でも、仏教ではこの「分ける」ということを良しとしていないのです。

あなたが「いい」とか「悪い」と分別しているもの。それは、あなたの頭の中の観念世界での話です。あなたがいいと思っていることがもしも「絶対」ならば、なぜ世の中には自分とはまったく違うの価値観を持ったひとがいるのでしょうか?

この世は主体と客体からなる2元世界であり、相対の世界なのだということ。そして、いつも申し上げていることですが、そんな世界の中で私たちは自分の色メガネ越しに世界を見ている。

これが本当に、本当に、腑に落ちたら、
あなたの人生観は根底から変わるでしょう。

そして

深く悩み、苦しむことから永遠に解放されるでしょうね。

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あなたの心に平安が訪れますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どうぞよい一日を。