こんにちは。トコロです。
ちょっとお久しぶりになっちゃいました。
その後、無事引っ越し先も決まり、大慌てで準備している今日このごろです。

もともと忙しい毎日を送っていたので、引っ越しでますますやることが増えてしまい、ちょっと思考がうるさくなってきました。

というわけで先日、久しぶりに禅寺に行ってまいりました。

久しぶりに訪ねて行ったら、あちらも少し様変わりしてました。改めてずいぶんとご無沙汰してしまったものだと思いながら、顔見知りの方にご挨拶をしてまわりますと、みなさん、口をそろえて

「顔が変わった」「痩せたねぇ!」

とおっしゃいます。

最初、勝手に
「痩せて綺麗になったね。」と言われてるかと思ったのも束の間。

「やっぱ、重力には勝てないね。」という、なんとも無慈悲なお言葉。(TωT)

「・・・」

改めて、鏡で自分の顔を見てみました。

そこに映ったのは…
た、確かに疲れ切ったみすぼらしいオバサンでした。Σ( ̄ロ ̄lll)

私、自分でいうのも何ですが
いつも実年齢より若く見られます。
いや、見られてました。

自慢していいっスか?
40代前半までは、道でふつうにナンパされたりしてました。(夜で暗かったからでしょうが(苦笑))

なので、外見は若いつもりでした。
それなのに、あぁ、それなのにぃ!

なんだ、この変わりよう!

そこへまぁ、タイミングよく、同い年の方が参禅にお見えになったのですが、その方は驚くほど若く見える方で、ぱっと見30代と言っても通じそうなくらい、お肌がきれいで、顔の造作も美しい女性でした。

自分の外見にショックを受けていた時に、追い打ちをかけるようなこのタイミング!

天の計らいとしか思えません。(笑)

劣等感
自己嫌悪
羨ましい、嫉妬心

いろんな感情や思考が次々と湧いてまいりました。

私は醜い。
私は老けている。
老けている自分が許せない。
同じ年齢なのに、なんであの人は若くて綺麗なのに、私はくたびれたオバサンのようなのか。ずるいよ。

なんとかしなくちゃ。
若く見られたい。綺麗になりたい。

じっくり内観するまでもなく、その根底には
「愛されたい」とか
「褒められたい」願望がありました。

承認欲求っちゅ~やつです。

まぁ、よくある基本的な欲求ですよね。誰でもあると思います。

さて

私の頭の中のこれらのぐるぐる思考。

きっかけは「他人との比較」です。
比較しなければ、劣等感を感じて自己嫌悪に陥ることもないわけで。

そして、その比較だって、「私の価値観」が基準。

美醜の基準だって、あいまいなもんです。
人それぞれだし。それこそ国や文化によってもちがうし、時代によって移り変わったりする。

例えば、

日本では痩せてスラっとしている人が美しいとされているけど、国によっては、女性は太っている方が良いとされている。日本では痩せる努力をしている人がたくさんいるなかで、ピルを飲むなどして太る努力をしている女性がたくさんいる国がある。

私たちって、そういう曖昧な基準が、さも「常識」であるかのように思い込んで、それにそぐわない自分や現実を否定します。

そして、この目の前の現実への否定が悩みや苦しみの原因。

なぜ、現実をありのまま認められないのでしょうか?

そこには、人や物事に対しての
「いい」「悪い」、「好き」「嫌い」
のジャッジがあります。

そんなの、当り前じゃん!

そう思いますか?
でも、自分の常識は他人の非常識だったりすること、ありませんか?

前述の美醜の基準でも触れたとおり、
価値観の基準なんて、とても曖昧なものです。

そして、同じ人間であっても
年齢とともに、また経験などで変わったりもします。

そんな曖昧なものにガッチガチに縛られている。

でも、他人と比較するな、と言ってもなかなか難しいですよね。

無理に「人と比べないようにしよう。」と努力しても、苦しいだけ。

「いい」も「悪い」も手放した
ニュートラルな視点がからみた世界。そこに比較は存在しません。

それを知っている人の心は絶対的に平安です。

だから私も
他人と比較して自我(エゴ)が騒いでも、安心していられるんです。それが実体のない、ただの思考にすぎないことがわかっているから。

この絶対安心の世界を分かち合いたい。
そんな思いで、あんのん房を運営しています。

あなたの心に平安が訪れますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。